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 長い歴史の中で、コンクールの規定などもいろいろと様変わりをしてきました。

 前ページにもあったように、初期は、年に2回コンクールを行っていました。
 詩を自分で作って、その詩に作曲したり、ピアノ曲として両手演奏の曲を作曲したものを自由曲部門として応募していた時代もありました。現在は、課題詩部門と器楽曲部門の2部門で、器楽は誰でも演奏できる、鍵盤ハーモニカとリコーダーに限定しています。

 課題詩はかつて、著作権などの問題で難航したことが少なからずありました。
 昭和49年から54年にかけては、後藤左右吉先生にお願いして、毎年小中学生の作曲にふさわしい歌詞を創作していただきました。

 コンクールを運営している岐阜県小中学校創作指導委員会では、これらの曲をぜひ多くの学校で演奏してもらいたいと願い、作品集を各学校、受賞者に配付してきました。テレビ放送の効果もありました。

 一時期まで発行していた、岐阜県小学校音楽研究会発行の歌集「みんなの歌」の巻末には、数曲子どもたちが作曲した作品も載せて、活用してもらいました。
 
 平成2年、全日音研岐阜大会の折には、研究演奏の中で作曲者による作品演奏を行い、コンクールの存在を全国の先生方にPRしました。

 平成7年、サラマンカホールで行われた「若い芽のコンサート」の中で、6年度コンクールの作品を、児童合唱、フルートとピアノ、電子オルガンなど様々な形態でアレンジ演奏し、一般の方にも聴いていただきました。

 平成13年には、コンクール50回記念として、同じく過去の優秀作品をアレンジしたコンサートを、富加町タウンホールとみか、大垣市スイトピアホールの2か所で行いました。
 

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岐阜県小中学生作曲コンクールのあゆみ

その2:コンクールの変遷、できごと(59回まで)