多治見市、土岐市、瑞浪市、笠原町など岐阜県の東濃地方でつくられた陶磁器のことを【美濃焼き】といいます。
【美濃焼き】の始まりは、古墳時代にさかのぼります。もともと良質の土があったこの土地に、山の斜面を利用した窯などが伝えられました。
 また、燃料となる松の木に恵まれていたこともこの地で焼き物づくりが盛んになったことに関わっています。
 16世紀後期、桃山文化が花開いたころ、特に土岐市を中心とする東濃の地では、茶の湯の流行に伴い、千利休や古田織部ら茶人の好みを映し出した焼き物「美濃桃山陶」の生産が盛んになりました。

 大窯では瀬戸黒・黄瀬戸・志野と呼ばれる焼き物が焼かれるようになり、そして、加藤影延(かげのぶ)が、窯業の先進地・九州唐津から導入した登窯では織部と呼ばれる焼き物が焼かれ、美濃焼きは広く世間に知られるようになりました。
  さらに、江戸時代末期頃には磁器の生産も始まり、以降この地方は、陶磁器の生産地として、全国的に知られるようになりました。
   

黄瀬戸

志 野

織 部

淡い黄褐色に緑のタンパンと 呼ばれる装飾が映える。刻線による模様も施されています。

半透明で乳白色の釉薬を厚くかけ、
下絵には鉄絵が描かれています。

歪められた形や、幾何学文など 、
奇抜な器形や、加飾が特徴的です。