ベルリン会議(コンゴ会議 1884〜5)

 ベルギー国王レオポルド2世は、植民地獲得に積極的で、探検家スタンリーを使いコンゴ領有計画を進めた。スタンリーが現地の首長との間に保護条約を結んだが、その地域を支配するために自ら創設組織したのが「コンゴ国際協会」である。
 しかし、これに対しポルトガル・フランス・イギリスが抗議すると、ドイツのビスマルクはこの対立を調停するために「ベルリン会議」を開催した。その結果、ベルギー国王の私領(個人所有)としての「コンゴ自由国」の承認とアフリカ分割の原則(「先に占領した国が優先」)を確認した。これによりアフリカ分割は一層激しさを増し、20世紀初頭にはエチオピア帝国とリベリア共和国を除くすべての地域が植民地化された。