フランスの「横断政策」

  フランスは北アフリカのアルジェリア・チュニジアからサハラ砂漠を占領し、ジプチ・マダガスカル島との連絡をめざし、アフリカ大陸を横断しようとした(アフリカ横断政策)。しかし、これがイギリスの「縦断政策」と衝突して1898年にはファショダ事件がおこった。